WRC(世界ラリー選手権)RALLY JAPANを2週間後に控えた昨年11月最初の週末。滋賀県の長浜市余呉町を拠点とする「チーム・モアラリーin滋賀2023」が行われた。
勝敗を決めるSS(スペシャルステージ)は、ラリーの拠点となる余呉町のアウトドアレジャー施設、ウッディパル余呉を挟んで向かい合う、ふたつの山の中にある2本の林道に置かれた。
このラリーは、西日本グラベルラリーツアーシリーズの最終戦として開催された。このシリーズは、西日本地区の内、グラベル(未舗装)ラリーとして開催されるJAF地方ラリー選手権等のイベントに併催されるシリーズで、2023年は中四国地区戦と併催の3戦と、単独開催となるこのモアラリーの計4戦がシリーズの対象となった。
現在、国内で開催されるラリーの主流は、ターマック(舗装)ラリーだ。2023年に開催された全日本ラリー選手権も全8戦中、6戦がターマックラリーとして行われた。全国5地区に分かれるJAF地方ラリー選手権も、JAF中部・近畿ラリー選手権とJAF九州ラリー選手権は全戦がターマックラリーで、東北、関東を舞台とするJAF東日本ラリー選手権もグラベルラリーは僅か1戦のみの開催だった。
グラベルラリーが多いのは北海道地区で、2023年はターマックSSが設定されたラリーは1戦のみ。そのイベントもグラベルSSも設定されるミックスラリーとして開催された。3戦がグラベルラリーとして行われ、残る2戦はスノーラリーとして開催された。
中四国地区も以前からグラベルラリーの比率が高い地区として知られ、2023年はシリーズ4戦すべてグラベルラリーとして開催された。シリーズ最終戦は広島県のダートトライアルコース、テクニックステージタカタでのSSが設定されたが、林道SSに重きを置く西日本グラベルラリーツアーシリーズの対象要件には合わなかったため、ツアーシリーズからは外れることとなった。
シリーズの大半がJAF中四国ラリー選手権と併催とあって、参加者はやはり中国、四国地区のドライバーが多いが、九州や近畿から参加するドライバーもいれば、はるばる関東からこのシリーズに駆け付ける参加者もいる。グラベルラリーが好きな参加者にとっては年に数戦、グラベルを走れるこのシリーズは貴重であるとともに、何年走っても飽きることのないシリーズとなっているようだ。
グラベルラリーにかける情熱はむろん参加者だけではない。今回のモアラリーを主催するJAF加盟クラブのモアモータースポーツクラブ滋賀も、長くグラベルラリーの伝統を守り続けている。「元々はうちのクラブを作った前の代表が、“ラリーはやっぱりグラベルや”という人だったので、モアラリーと言えばグラベルラリーなんです。以前、舗装とミックスでやったこともありましたが、舗装だけ走るというラリーはやったことはありません」と語るのはクラブ代表の晝田(ひるた)満彦だ。
西日本グラベルラリーツアーの参加者の年齢層は幅広い。そもそもラリーと言えばグラベルラリーという時代は、せいぜい1980年代までで、それ以降の世代はターマックラリーが主流という時代に育ってきた。
この日、見事、M-3クラスで優勝を飾って西日本グラベルラリーツアーの初チャンピオンを獲得したのは松原久/和田善明組。ミッションにトラブルが出て、一時は14秒近くもトップから離されたが、怒涛の追い上げを見せて逆転を果たし、シリーズ全勝で最高のシーズンを締め括った。
「今日は正直、完走すればチャンピオンが決まりだったんだけど、接戦になったので、ついアクセルを踏んでしまいました(笑)」と松原。もうコンビを組んで10年になるコ・ドライバーの和田は、「いつもは淡々と走るんですけど、今日はちょっとスピードが違ったので、心臓がバクバク鳴りました(笑)」と、ラリー後はホッとした表情を見せた。
松原はラリー歴40年を超える大ベテラン。最初に乗ったラリーカーは1970年代に発売が開始された初代の三菱ランサー。グラベルラリーが主流だった時代にキャリアをスタートさせた。全日本ラリー選手権での優勝経験も持つが、そのラリーもグラベルラリーだった。数年前まではターマックの全日本選手権にもチャレンジしていたが、ここしばらくは地元の中四国戦に専念している。
「ターマックでもその気になればドリフトしていいんだけど、やっぱりグラベルの方が流しやすいし、クルマによっても、流し方が違ってくるのが面白い」と松原はグラベルラリーの魅力を語る。「クルマについてもグラベルの方がセッティングの違いが出やすいので、例えば(セッティングを)外したら、運転でカバーしなきゃいけないし、セッティングをまた詰めていかなきゃいけない。けど、それがまた楽しい」という。
コ・ドライバーを務める和田もグラベルの方が楽しいと話す。「ターマックは横Gが結構きついんで、元々、クルマ酔いしやすい自分にはつらい部分があるんですけど、グラベルはそれほどでもないので、体への負担も少ない」というのがその理由のひとつだが、路面の凹凸の大きいグラベルは、縦の揺れが舗装に比べると格段に激しい。だが、それを差し引いてもグラベルの方に魅力を感じるという。
今大会、最速のクラスであるM-1クラスを制したのは、地元近畿のマクリン大地/大橋正典組。しかし、いつもライバルとして切磋琢磨する四国の長江修平が今回は不参加だったこともあって、「今日は鬼の居ぬ間の1勝でしたね」とマクリンは苦笑した。長江もマクリンも、もう30歳は超えているが、このシリーズでは若手の部類に入るドライバーだ。
2023年、マクリンと長江の2台は北海道で開催されたグラベルの全日本戦「ラリーカムイ」に遠征。「1日目は長江組といい勝負ができたのに、2日目に引き離されたのが悔しい。どうも自分は道がきれいになると遅くなるみたいで(笑)。道が悪くて、皆、タイムが出せないような時にポンといいタイムを出せたりするんですけどね」とマクリン。
グラベルラリーは道が悪くなればなるほど、そうした悪路の“さばき方”を経験で知るベテランが通常は速さを見せるのだが、若手のマクリンは、ラフなグラベルの方が得意と語る。むろん本人はそれだけで良し、とはしていないのだが。
スバル・インプレッサを乗り続けているマクリンのラリーの原点は、かつてスバルのエースドライバーとしてWRCで活躍したコリン・マクレーの走りだ。「まだ子供でしたけど、テレビで見たマクレーの、グラベルで激しくドリフトさせる走りがカッコよくて、ラリーに興味を持ったんです。でも、まさか自分がラリーをやるとは思わなかった」
きっかけは、入学した北海道の大学で自動車部に勧誘されたことだった。そこは毎年のように、北海道のラリー界に生きのいい若手を輩出することで知られる、ラリーストの巣窟だったのだ。「冬はスノーラリーがあるし、雪が溶ければ次はグラベルラリーが始まるという土地柄だったので、自然と滑る路面を走る方が当たり前という感覚でした」とマクリンは当時を振り返る。マクレーが焚きつけたラリーへの熱い思いが、北の大地で甦った。
就職で地元近畿に戻った直後は地元の地区戦を追いかけ、ターマックラリーも走ったが、「やはり滑る道が走りたくなって」、中四国ラリー地区戦に鞍替えした。「高速主体の北海道のラリーと比べると、アベレージスピードは下がるし、道の形も違うけど、こっちはこっちで違う難しさがあって楽しいんですよ。いまは狭い道を横向けて走っていくのが気持ちいい」とマクリン。「これからも、しばらくはグラベルラリーに専念すると思います」と話す。
今回、M-4クラスで優勝したのは、地元近畿の山中健志郎/鷹巣恵鈴組。ランサーやインプレッサに比べれば、非力なFFのデミオにはちょっとつらいハードな道だったが、「凄く楽しかった。デミオを横向けながら走れたので、大好きな道です(笑)。大きな石も所々出てましたけど、そういう所は避けて。最後は、ワダチも予想できない向きにできていたりしたので、ヒヤヒヤしながら走りましたが、それも含めて楽しいラリーでした」と振り返った。
現在35歳の山中は、高校生の時、当時、北海道で開催されていたWRC RALLY JAPANをテレビで見てラリーの世界を知った。「高速のグラベルを走るラリーカーが凄くカッコ良く見えて。以来、RALLY JAPANに出るのが自分の目標になりました」
しかし、北海道を舞台とした初代のRALLY JAPANは2010年を以て一旦、中断となる。このため、このラリーを主催したAG. メンバーズスポーツクラブ北海道が、RALLY JAPANの前身として始めたRALLY HOKKAIDOが、山中の次なる目標となった。RALLY HOKKAIDOは、FIAアジアパシフィックラリー選手権と全日本ラリー選手権のダブルタイトル戦として、RALLY JAPANの終了後も開催され続け、国内屈指の高速グラベルラリーとして、全国のラリースト達の憧れの的となっている。
山中の念願が叶ったのは2017年。以来、コロナ禍に見舞われた2020、2021年の2年間を除いて毎年、RALLY HOKKAIDOに出続けている。2023年は初めて、マシントラブルのためにリタイヤと、サバイバルラリーとしても知られるこのラリーの洗礼を浴びた。
「RALLY HOKKAIDO以外のグラベルラリーも走りたいのですが、地元で走れるグラベルラリーはここしかないので、参加しています。RALLY HOKKAIDOに比べれば、使うギヤも全然、違いますが、それはそれで楽しい」。実は山中はもう1台、デミオを所有し、年に数戦、中部近畿地区戦にも参戦している。「ターマックも好きなので、舗装仕様の別のデミオで数戦、出ています。もう、ラリーに出るために毎日、死ぬ気で働いているという感じですね(笑)」。
「いまの自分にとっては、ラリーに出るのは、子供の頃、いつも待ち焦がれた運動会に出る感覚に近いですね」と山中は最後に笑った。ラリーと言えばグラベルという時代はとっくの昔に過ぎ去った。しかし土のラリーの熱い記憶は、そんな時代を知らない若い世代にも、いましっかりと受け継がれているようだ。
フォト&レポート/BライWeb